・・・・・・・・・じゃなきゃだめだった理由
・・・・・・・・・じゃなきゃだめだった理由
それは
「物理的な距離で愛を確かめなくていいから」
です
地下アイドルという文化が好きです
何かをがむしゃらに頑張っている人なんて昔から嫌いだったはずなのに、アイドルは別でした
アイドル活動を続けられるなんて才能でしかないと思うし、顔がいいからってだけでできる事では全く無い、アイドルは生まれた時からアイドルになると決まってる、今でもそう思ってます
だからこそアイドルはいつだって自分と住む世界が違うものであってほしかった
でも実際アイドルに求められているものは、身近さ、だと思う
友達のような感覚
よく女の子のファンと顔をくっつけていたりほっぺたにキスをしていたり、いかに距離感を縮めるか、みたいなチェキを見かける
それ自体を悪いと思ったりする事はないけど、ただ、自分にはできないな、って思った
この距離感でしか愛を測れないなら、とても悲しい
たぶんそこには少しの羨ましさもあったんだろうけど
・・・・・・・・・のコンセプトの1つ
"アイドルをもう一度、お天道様のような存在に戻す"
これだ、と思った
一方的な愛が許される場所
会話が苦手だから、ツイッターでリプを送っても返信がないのがうれしかった、不思議としっかり会話ができている満足感があった
目線がわからないから、ライブ中に視線を気にすることはなかったし、彼女たちが"ステージ(現実とは違う場所)に立っている"という感覚が強かった
名前がないから、個としての推しを絶対決めなきゃいけないという強迫観念がなかった
これに関しては、言葉にするのが難しいけど、
グループを応援するにあたって1人の推しの存在を決めることはかなり重要なことだと思う、でも私にとってはそれがかなり気持ちが苦しくなることでもあって
そんな複雑な感情を「・ちゃん」という存在が解決してくれた
「・ちゃんが好き」と、堂々と言ってもいい場所は、ここしかなかった
コンセプトに惹かれた私は、もっと極端に個をなくした方がいいんじゃないか、なんて考えていたこともある
(今は最低限の個はあってよかったと心から思っています)
だから・ちゃん本人がブログでこう言っていてびっくりした↓
個がないからこそはっきりと見えてくる個
これ以上おもしろい経験はできない気がするな
話を戻すと、アイドルは自分とは違う世界にいる
でも、
自分の存在に気づかれないのも寂しい
そんなわがままを叶えてくれたのも・・・・・・・・・だけでした
実際に・ちゃんと話して受け取った言葉
それは全部紛れもなく私のためだけのもので、
一方的な愛に答えてくれるものでした
そして最後のさりげないハイタッチ
それで十分、じゅうぶんすぎるほどの理想でした
ほっぺたにキスなんていらないし、同性だからという特別ななにかもいらなかった
誰のものでもない・ちゃんとも、自分だけの・ちゃんとも会えた
私はアイドルという存在との距離感を大切にしたかった
それを・ちゃんはいつだって"自ら纏う"という形でそばに寄り添ってくれていた
もはや自分の中にいる感覚だってした
心拍数は恥ずかしくてあんまり聞けなかったけど
人それぞれの自分勝手が許されてしまうのは
・・・・・・・・・だけ
・・・・・・・・・じゃなきゃだめでした
とある空間を9つの「・」が浮かんでいる
様々な色や形に姿を変えながら
私たちはそれを「トーキョー」と呼んだ