ヘラヘラと
メンタルが山椒のようにピリっとするのはいつだって褒められたあとです
それも自分よりはるかに認められている人から
仕事がはやいね〜の褒めも、かわいいねの褒めも、別にただもちろん嬉しいだけで済むんだけど、あなたはこういう人でここが凄くてって人間として褒められると、逆にこうなんか、あ〜期待されてしまった、と落ち込みます
期待されたくないんですよ、誰にも
期待に応えることも超えることもできないから
だからヘラヘラ生きています
ヘラヘラ生きるって楽しいですよ
あっけらかんと明るくて常に楽しいバカだと思われるのは楽です
それのおかげで相手を見定められるから
相手のヘラヘラにつけ込んだり、上からものをいう人は、真のバカです、だからバカホイホイになっとくんです
ああこいつには自分から関わらないでおこうって自然と人脈が濃くなっていく
わたしがなにかを成し遂げたとき、決まってこういう人から順にわたしのもとへやってきます
よくやったね、すごいじゃん、俺もあたしも大変だったけど〜
だれも聞いてねぇです、お前のこと
こういう人は自分から話さないと聞いてもらえないからこうなっちゃうんだね
勝手に自分より下な人を見つけて、自分のおかげで変わったと思い込み、成し遂げたとする
何一つ自分の力でできたことないんだろうなと思います
わたしは誰かのおかげで成り立っています
自分が選んだ人間の自分が選んだ誰かの判断で
だからこそ悪いことが起こった時に誰かのせいにしたことは一度もありません
誰かを選んだわたしが悪い
いい事も誰かのおかげ、わたしのおかげじゃない
わたしは心底つまらない人間で、家で1人でいれないのはそんな自分と2人きりでいなきゃいけないからです、とても耐えられない
よくみんなはこんなつまらない物体と話してくれたり遊んでくれたりできるな〜って尊敬します
でも自分のことは嫌いじゃありません
こういうところが中途半端だなと思います
家から出れないくらい病めばいいのに
鏡が見れないくらい自分の顔を嫌うべきだ
その斜に構えた態度を恥ずかしむべきだ
ぜんっぜんできない、めっちゃ好き自分
でも他人から見た自分の存在を知ると、そうもいかなくなる
解決策のない悩み?悩みにもならない山椒?だけがある、いまは香り強め
なんの話してたっけ、暴走しました
自分以外みんな幸せになってくれ、と、自分だけが幸せになりたいの気持ちが交互に、そして同時に存在していると、わたしの過去の文章を読んでくれてるオタクの皆さまにはよくご存知だと思うのですが、
ほんとうに自分よりも幸せでいてほしいと思う人間がいて、そして、とても恵まれているのに誰にも感謝せず自分は不幸であるということを発信していないと生きていけない流行りの人たちがたくさんいて、
後者は自分にまったく関係ないはずなのになぜか物凄く腹が立つんです
わたしの思う"他人のせい"には愛があるはずです
他人のせいでを生き甲斐にしてるくせに、なんで強く当たるのかどうやっても理解できない
そういう人たちにあるはずの幸せを全部、愛してる人間に分けたいです
ヘラヘラ生きるのは大変です
覚悟のある人にだけおすすめします
なめんな
共存
わたしはいま「諦め期」にいる
ブログを読んでくれる人ならわかるかもしれないけど、少し前から自分のことを知るために自分のことだけを考えて文字にするということを続けているけど、かなり時期によってコロコロと思想が変わっている
最初は自分の生きづらさに名前があることを知りそれをまとめる「追及期」があり、人生に正解なんてないことはわかっているけど、それでも自分と深く向き合って名前をつけていった訳だけど、結局新しい人と出会うときに「わたしはアロマンティック(デミロマンティック)でHSS型HSPでマルチポテンシャライトです!!」なんて自己紹介が使えたことはないし、ただ痛いだけというか、救いようのないというか、そんな感じになった
たまにわたしのブログを読んで自分もそうかもと思って調べてみて知ることができたと言ってくれる人がいるから、書いてよかったと思うし嬉しい
その後「悟り期」が来た
みんな違ってみんないいよね、認められようなんて思わないよ、でもわたしはあなたを認めるよ、といった気分
こんなに自分のことを考え詰めて抱きしめてあげれるような人他にいないだろ、、という自己愛と、それをみんなもすればいいのに、それだけが解決法だ、という考えの放棄
人と喋っていてもそんな無責任な余裕とか自信のようなものが溢れていた気がする
人からの悩み相談もよく受けてたし、いい言葉を返せてたかもしれないけど、なんかちょっと上から目線で話してしまっていたかもしれない
いま感じるのは「諦め」
あなたがわたしをわからないように、わたしもあなたをわかりようがない
寄り添うことさえも、無駄なのでは
わからないことを放棄せず向き合いたい気持ちは相手も同じくもっていないと機能しない
性格の欠如は理解し合えたとして、当たり前だとされている感情面においてはきっと一生わからない
とくに、恋愛感情のないわたしに恋愛体質の友達が多いのはどういう仕組みなんだろう、当たり障りがないから?
こういう文章を書くとき必ず「あなた」という存在を出してしまうけど、それは誰なんだろう、仮想敵であり自分であるんだろうけど、会ってしまったら全てが終わる気がする
これからもどうか都合のいい場所にいてほしい、いつでも撫でれていつでも殴れる場所に
星に願いを
毎日が楽しくてまぶしい
最近ずっと思っている
周りを囲んでくれる人たちが優しくて、なにも返すことが出来ず、虚しい気持ちになっている
例えば選択肢がたくさんあって、その中でも自分を選んでくれたとき、うれしくてたまらないけどそのあとちょっとどうしようかとしゃがみこんでしまう
人に言っても相手の時間を奪ってしまうだけのようなささやかな悩みしかないからずっと笑って逃げてしまうけど、そいつにどうしても心のキャパを持ってかれてしまう
これから出会う人へ、わたしは褒められて伸びるタイプだから少しの間だけ特別優しくしてください
七夕だからと何をすることもないけど、誰かに祈りを届けていい日にはおこがましくも目をつぶって世界に便乗する
好きな人たち誰ひとり悲しい気持ちになりませんように
自分の持つべき幸せぜんぶ他の人にあげれますように
■
前まで自分の全部受け入れられてたのに、誰かのために生きてみるという経験をした事がないの、すごく欠陥に思えてきてしまってる
美しい世界に辿り着きたい
人との関係性にはだいたい名前がついていて、それが理解できない割には「一般的にはこうだ」「普通はこうだ」っていうのに無意識に縛られててなかなか動けず、人の言葉に便乗してわかった気でいる
人からどう思われてるかばっか気にした挙句ダメになってしまうから生きてる間ずっと自分だけの世界に閉じこもっているけど解決法もわからない
"自由"と"自分勝手"の境目を曖昧にしたくない
可能性の話ばかりしていてもしょうがないでしょう?
心乱される状況から逃げてたからいざ直面したとき思ってもない行動をとったりらしくない気持ちになったり、そんな自分が受け入れられないし気持ち悪くて仕方ない
秘密を保持したい、全部人に話したいが同居しているとかなりつらいね
自分以外どうでもいい、全員幸せになってくれの同居には慣れたし人生ずっとそうだけど
もういいや、誰にも期待せず、自分への期待は過度に受け取って背負い込んで頭抱えながら生きてこ、自分が苦しいだけなら大丈夫、人を苦しめないことだけ一生懸命頑張る
は〜〜〜〜お酒飲もうね〜〜〜〜
住所不定無職
4月から上京した友達に着いてきて、友達の家に居候をしています
東京は中学の頃から毎月、たまに毎週のように来ていて、大好きな場所だし、自分に合っているなと思ってました
友達も地元より多いくらいで、みんなたくさん遊んでくれて、東京で暮らす夢が叶った〜!と幸せです
ただ、やるべきこともなく、やれることもなく、やる必要もなく、働かず
毎朝はやくから仕事に向かう友達を送り出して、ふらふらとしています
居候という謎の人にずっと憧れてた、何者でもなくなぜかそこにいる、ドラマとかでもそういう存在の人がなんか好きで
生きているのが楽そうだななんて見てる間は思ってなくて、でも実際自分がそれになると、楽して生きていけることにずっと甘えてるんだなと思いました
わたしの頑張りたくなさは才能だと思う、これは肯定的に言ってるんじゃなく、まじでどうしようもないなと思ってます
学生の頃から、通学の自転車も、テストも宿題も、なにも頑張ってこなかった
確かに部活はすげ〜必死にやったし、今だに結果として残ったものは少しだけあるけど、当時は必死にやっていたつもりでも今思うと必要最低限のことがただ"できた"というだけなのに気づいた
たくさんの人に、わたしはいつか大きなことをやり遂げるだとか、有名人になりそうだとか言われてきて、自分もそうだと思ってたし、目立つつもりもないのに目立ったり普通に生きているだけでやっぱ変だな〜と言われそれが嬉しかった
いまここにきて、できていたはずの必要最低限ですらできなくなっている、それに何よりやばいのは、それを変えようとしなくても、必死にならなくても生きていられている現状に気づいて、じゃあ別になにもしなくていいや、という結果に落ち着いてしまっていること
さっき東京を歩いていて、ふと、目標とか夢とか約束とか、才能とかがある人しか生きてる意味がないのかなとか思った、ただただ生きてたらだめなのかな
ずっと人に甘えて生きていて、それすら肯定してしまう自分、これを続けていたいと思ってしまう自分に絶望する
具体的にどう甘えているのか、たぶん、わたしは自分の人生だけで、自分のことだけを考えるのに精一杯で、みんなもそうなはずなのに、わたしのことを思って言葉をくれたり優しく接してくれる人がいることの凄さに甘えてるんだと思う
環境が変わることにわくわくせず、全部を恐怖に思えてしまうようになったのはいつからだろう
ずっと私は誰かに必要とされたいという気持ちが根底にある、恋人とかそこらへんの、人という字は支え合ってできている的な人ができたことないからかもしれない、甘える対象は親だけだったし、そりゃ親は存分に甘やかしてくれるし
実家じゃない場所での暮らしで、ほんとうにありがたさを噛み締めている、あの空間から早く出たいと思っていたのは愚かだ
でも、戻りたいとは思わない
やっぱりわたしは東京が大好きでここにいるべきだと思ってしまう、これから、どうしようか
一生懸命働いている友達に、自分のことを「応援屋さん」とかよく言ってる、こんなんでも生きているからあなたはもっと偉いよという身近に気軽に見下せる人として存在していたいと思ってる
結局自分が大好きなので、明日何してるかもわからない自分を信じていたいし、見守っていたい
こういう思いを続けていたい
ここまで頑張れないのは、やっぱり才能だろうか
頑張らなかったツケはいつ自分に返ってくるんだろう
将来のことを全く考えていない人ばっかりだと思ってたら実はそうでもないらしい、夢ほどではないけど、みんな未来の自分を想像してるらしい
何歳で結婚するとか、それまでにこうするとか、大人になるにはまずそれを想像しなきゃダメらしい
黙ってても年取るんだし、今日のことだけ考えていたいな
誰か一発殴ってほしい、その後にまた甘やかしてほしい
嗚呼、素晴らしきこの世界
2021年8月26日
私は京都のバンド「The Slumbers」(以下 スランバーズ)のライブを見に、京都のライブハウス磔磔に来ていた
京都でバンドをやっていたり、音楽を愛している人なら誰もが"憧れ"のライブハウスであろうこの場所でのスランバーズ初ライブを、見ない選択肢などなかった
磔磔には何度も来ているはずなのに、いつものライブハウス、という感じが全くせず毎回緊張してしまうのだが、照明が暗くなり、客席の後ろにある古びた階段から降りてくる彼らを目撃し、緊張と、これから起こる事へのわくわくが頂点へ達した
彼らはステージ上からゆっくりと客席を見渡し、はじまりの曲を奏でた
ボーカルの智則さんはMCと共に少し泣いていたと思う
ひとつの夢が叶う瞬間を見て、わたしも泣いてしまった
最近は人から夢のお裾分けをもらうことが多くて、その場にいれることが幸せだったりするのだけど、まさにそうだった
鳴るべくして鳴る音を、その場にいるべき人が鳴らしていて、スランバーズに未来を見せてもらった
唯一の心残りといえばせっかくの磔磔のステージが涙でにじんであまり見れなかったことかな
あこがれのあの場所で聞いた「さらば、憧れ」を忘れる日は来ないだろう


という記事を書くためのメモを残し、この日から約半年以上の月日が経ってしまった
今日は4月1日、たくさんの別れや出会い、不安と期待が入り混じるなんともいえない時期である
なぜあの日から半年以上、スランバーズについてのブログが書けなかったのか、自分でもよくわからなかった
自分の書く文章に大きな影響力や何かを左右させる力があるとは思わないが、書いてしまうと、あの日が終わってしまうと思ったんだと思う、わたしはあの日の感動を終わらせたくなかった、完結させて過去のものにしてしまいたくなかったのだ
ただ、やはり書かねば、と思わせてくれたのもまたスランバーズがきっかけである
3月23日、半年ぶりに彼らのライブへと足を運んだ
そこは"いつもの"ライブハウス、京都グローリー
ここでの思い出のほとんどはスランバーズと共にあると思う
わたしは久々に彼らに会える緊張もあったが、なんだか勝手に気まずさを抱えていた
なぜならあの日、磔磔でのライブを見た直後、わたしはボーカルの智則さんに直接「今日のこと、文章に書いて残してもいいですか?」と聞いておいて
後日、ぜひ書いてほしい、わたしの文章が読みたいとわざわざ連絡をくれたのにも関わらずわたしは書けなかったから
このことについていつ謝ろうかと考えながらも、スランバーズのライブは始まった
ライブハウスの空気が変わり、鳴らす音楽でその場を支配していく、圧巻だった
あの日よりも、確実にパワーアップしていた
その瞬間わたしはなんだか不安に思っていたことが馬鹿馬鹿しく思えてきて、彼らの作る空間に身を委ねていた
なぜあの日、磔磔でのライブの日の感想が文字に起こせなかったのか、このライブがゴールだろうとどこかで思ってしまっていたからかもしれない
でも全くそんなことはなかった、彼らはライブを重ねるごとにベストを更新し続けている
この日は自前の機材を最大限に揃え、音がかなり良かったらしいが、もちろんわたしは機材のことなんて全くもってわからないので、この感動はそういうことではない
明らかにレベルが違うということが素人でもわかってしまったのが一番の証拠なんじゃないかと思う
「嗚呼、素晴らしきこの世界」という曲を聞いた時、初めての感情を抱いた、あの日からでもやはり世界は変わっている
反戦ソングは、その"戦"が身近にないと意味に気づかないのかと悲しいことを考えたりした、この曲が存在する意味はなんなんだろう、彼らはどんな気持ちで演奏しているんだろう、わたしはこの気持ちを誰に届ければいいんだろう
同世代にスランバーズというバンドがいて良かったと心から思った、この出会いは明らかに財産だ
彼らの目に映っているのは、わたしたち1人ひとりの心だと思う、平等に届くべき人の元に届く
ライブ後、彼らとひさびさにお話ができて、ほんとうに楽しかった、決して馴れ馴れしいわけではなく、仲間として迎え入れてもらえている気がして心地がいい
そういえば、とあの日わたしが書けなかったことについて話が始まった、忘れてるわけでも書きたくない訳でもないけど、なんでだろう、あまりにいい日だったから終わらせたくなくて、わたしの文章なんかで締めくくるのにはあまりにももったいないと思った、想いが強すぎると動けなくなってしまうという旨を伝えた
それでも「読みたい」と言ってくれた
わたしはもうその時、スランバーズに終わりも限界もないことに改めて気付かされてしまっていたから絶対に書かないとと決心していた
お待たせしてほんとうにごめんなさい、そして待っていてくれてほんとうにありがとう
結局誰に向ける文章でもなく、自分のためだけのものになってしまったけど、スランバーズの凄さを再確認させられました
あの日、MCで話していたこと、わたしはわたしで生きていてあなたはあなたで生きていること、もらった夢のお裾分けは大切に心にしまっておきます
春、わたしもほんの少しだけ環境が変わりそわそわしているような毎日、スランバーズに会いに京都へ行きたいなと思う
これは、愛を知らないわたしからの、最大級のラブレターだ
Twitter: @The_Slumbers
Instagram: the_slumbers_official
https://linkco.re/9NtVB9eq?lang=ja
音楽の神様(いい感じのときにやってくる)
彼らの存在を初めて身近に認識したのは、去年の年末サカナクションのライブに行った時、ボーカルの山口一郎さんがMCでふと話し始めたことから
「さっきさ、演奏中、俺誰かにずっとギターのネック支えて持ってもらってたんだよね」
「前にも一回リハーサル中に知らない声が聞こえたことあったんだけど、話してなかったっけ?」
淡々と、でもどこか嬉しそうに不思議な出来事を話す山口さんにわたしは惹かれていて、でも大半の人の空気は引いていた、普通に怖いよ!って周りの人も呟いてたし
さらには、目が明く藍色という曲で最後の1音を弾いた山口さんが手を高く上へと伸ばし、ピックを落とすという演出があり、その際に耳元で「さんはい、」と声が聞こえたそうで
「なんかいるのかな、盛り上げてくれたんだよね」
なんとも言えない空気になったとき、わたしはその存在の虜になった
元々わたしは幽霊とかおばけとかは苦手で、ホラー映画や怪談が好きだからこそ心霊スポットの類には行かないし、触れていいものではないと思っていた
ただ、怖い、というよりかは、確かにいる、ということを認めていたから
「ア・ゴースト・ストーリー」という映画がある
簡単に言うと地縛霊のお話なんだけど、わたしはその映画が生涯ベストの1本であり、今の自分の思想のひとつになっている
この映画に出会ってから、この世界のデカすぎる歴史や、続いてゆくものへの理解がかなり深まり、同時に自分の抱いている不安や、この世とは違うものたちのことをたくさん考えるようになった
作品としてはかなり退屈で静かなものなので人におすすめできず、見た人に感想を聞いてもポジティブなものが返ってきたことがないので、もし気になってどうしようもなく時間があいたらぜひ見てほしいのだけど

とにかくこの映画に出会って、地縛霊、場所に存在するもの、人からは見えず、見られず、極力関わらず生活を続けているもの、に漠然とした憧れを抱くようになった
友達になりたいとか見たいとか怖い思いをしたいとかは一切なくて、でもいるという事実を間接的に知れたら嬉しいなという感じ
書いてて思ったけど文字に表現するのすごく難しいな
そんな彼らに、ついこの前直接出会うことができた
SADFRANKのライブに行った、NOT WONKというバンドの加藤さんがやっているソロプロジェクトで、大阪でのライブは初だった
久しぶりに加藤さんの歌声が聴ける機会に心が踊り、チケットを見ると整理番号が1番で軽くガッツポーズをした
いちばん前、いちばん真ん中で音を浴びた
たくさんの機械を足で踏んだり手でいじったり、吹いた口笛が左右のスピーカーから交互に聴こえてきたり、ライブだから当たり前なんだけど、特に"この空間、この時間でしか出会えない音“がたくさんして、
あまりの良さに椅子から浮きそうになっていたとき、加藤さんも同じく、最高潮にいたのだと思う、ギターを弾きながらも右手を天に向かって伸ばしていた
その瞬間、わたしは誰かに肩を2回ポンポンと丁寧に叩かれた
すぐに振り向いたけど、誰もこちらを見ておらずステージを見上げていた
なんだったんだろうと思いまた前を向き直すと、加藤さんがマイクを通さず、言った
「今日なんかいるな、ここ」
その瞬間、彼らの存在を脳がはっきり認識した
いる!と小さく呟いてしまったような気がする
わたしは今までにないような感覚と壮大な音の中で、文字通り夢のような時間を過ごしていた
なんかいた上に触られてしまった!
不思議と怖いとは全く思わず、なんだか自信だけがついてしまい、終演後加藤さんにライブで感じたことや今までどれだけ救われてきたかを直接お話した
普段はライブに行って演者さんとお話できる機会があっても、時間をとらせてしまうのが申し訳ないと思ったり、どれだけ好きかを拙い言葉で伝えても支離滅裂になって終わってしまうので「お疲れ様でした、最高でした、また来ます」くらいしか伝えず、あとは持ち帰ってツイッターにだらだらと書いて満足させている
でもその日はなんだか話さなきゃダメだと思って全部言えた、やっぱり支離滅裂だったし、泣くのを我慢して声もかなり震えてたけど、ちゃんと聞いてくれて受け取ってくれた
全部彼らのおかげだった
あの肩ポンポンは彼らではなく、偶然後ろの人の上着や荷物が当たっただとか、可能性を考えてはみたけど、全着席だったし間隔も空いてたからな、呼ばれたとしてもその後振り返って誰も何も言わないのおかしいよな、とか、やっぱりどうしても信じたい自分と、真実はどうであれわたしの行動が変えられた事実だけが残っていて、素晴らしい体験をしたなと思った
彼ら、かわいらしく言うと、音楽の神様、ただし、とってもいい音楽が鳴っていてあらゆる条件が整ったときのみ現れる
いま思うと、今日はほんとによかったな〜と思うライブでは演者さんがどこかをじっと見ていたり、なにかに助けられたり、手を伸ばしていたりすることが共通して多いことに気づく
また彼らに会えますように
おまけ:最近すごく好きなお話を読んだのでシェアハピします、これも読んでてすごく心が震えた
https://blog.goo.ne.jp/iine_piroshiki/e/1db24ee08d36c301aae60dd2a8f67436