住所不定無職

 

4月から上京した友達に着いてきて、友達の家に居候をしています

 

東京は中学の頃から毎月、たまに毎週のように来ていて、大好きな場所だし、自分に合っているなと思ってました

友達も地元より多いくらいで、みんなたくさん遊んでくれて、東京で暮らす夢が叶った〜!と幸せです

 

ただ、やるべきこともなく、やれることもなく、やる必要もなく、働かず

毎朝はやくから仕事に向かう友達を送り出して、ふらふらとしています

 

居候という謎の人にずっと憧れてた、何者でもなくなぜかそこにいる、ドラマとかでもそういう存在の人がなんか好きで

生きているのが楽そうだななんて見てる間は思ってなくて、でも実際自分がそれになると、楽して生きていけることにずっと甘えてるんだなと思いました

 

わたしの頑張りたくなさは才能だと思う、これは肯定的に言ってるんじゃなく、まじでどうしようもないなと思ってます

学生の頃から、通学の自転車も、テストも宿題も、なにも頑張ってこなかった

確かに部活はすげ〜必死にやったし、今だに結果として残ったものは少しだけあるけど、当時は必死にやっていたつもりでも今思うと必要最低限のことがただ"できた"というだけなのに気づいた

 

たくさんの人に、わたしはいつか大きなことをやり遂げるだとか、有名人になりそうだとか言われてきて、自分もそうだと思ってたし、目立つつもりもないのに目立ったり普通に生きているだけでやっぱ変だな〜と言われそれが嬉しかった

 

いまここにきて、できていたはずの必要最低限ですらできなくなっている、それに何よりやばいのは、それを変えようとしなくても、必死にならなくても生きていられている現状に気づいて、じゃあ別になにもしなくていいや、という結果に落ち着いてしまっていること

 

さっき東京を歩いていて、ふと、目標とか夢とか約束とか、才能とかがある人しか生きてる意味がないのかなとか思った、ただただ生きてたらだめなのかな

 

ずっと人に甘えて生きていて、それすら肯定してしまう自分、これを続けていたいと思ってしまう自分に絶望する

具体的にどう甘えているのか、たぶん、わたしは自分の人生だけで、自分のことだけを考えるのに精一杯で、みんなもそうなはずなのに、わたしのことを思って言葉をくれたり優しく接してくれる人がいることの凄さに甘えてるんだと思う

 

環境が変わることにわくわくせず、全部を恐怖に思えてしまうようになったのはいつからだろう

 

ずっと私は誰かに必要とされたいという気持ちが根底にある、恋人とかそこらへんの、人という字は支え合ってできている的な人ができたことないからかもしれない、甘える対象は親だけだったし、そりゃ親は存分に甘やかしてくれるし

 

実家じゃない場所での暮らしで、ほんとうにありがたさを噛み締めている、あの空間から早く出たいと思っていたのは愚かだ

 

でも、戻りたいとは思わない

やっぱりわたしは東京が大好きでここにいるべきだと思ってしまう、これから、どうしようか

 

一生懸命働いている友達に、自分のことを「応援屋さん」とかよく言ってる、こんなんでも生きているからあなたはもっと偉いよという身近に気軽に見下せる人として存在していたいと思ってる

 

結局自分が大好きなので、明日何してるかもわからない自分を信じていたいし、見守っていたい

こういう思いを続けていたい

 

ここまで頑張れないのは、やっぱり才能だろうか

 

頑張らなかったツケはいつ自分に返ってくるんだろう

 

将来のことを全く考えていない人ばっかりだと思ってたら実はそうでもないらしい、夢ほどではないけど、みんな未来の自分を想像してるらしい

何歳で結婚するとか、それまでにこうするとか、大人になるにはまずそれを想像しなきゃダメらしい

 

黙ってても年取るんだし、今日のことだけ考えていたいな

 

誰か一発殴ってほしい、その後にまた甘やかしてほしい