選択の自由をすべての人に

 

大阪地裁が今日、法律上の性別が同じふたりの結婚が認められないことを「合憲」と判断したらしいです

 

むずかしい言葉が多くてピンときませんが、同性同士の結婚が認められないことについて憲法違反ではないかと訴えたことについて、国が、いや別に憲法違反じゃないです、と結論を出したみたいで、さらには、「結婚は男女が子を産み育てる関係を社会が保護する目的で定着」「男女が共同で生活を営み、自然生殖で子が生まれることにより子孫を残し、次世代に承継してきた実態が歴史的・伝統的に存在しており、婚姻制度はこのような関係に対し(中略)法的保護を与えるもの」「結婚とは、一人の男性と一人の女性が子どもを産み、育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与えること」

とまで言ったそうです

 

なんだかほんとうに悲しくなってしまって、ニュースで取り上げられるたびに心がぎゅっと痛むので、とても当たり前で正直な自分の気持ちを書こうと思いました

 

詳細のわかりやすい記事を少し貼っておきます

 

https://www.asahi.com/articles/ASQ6N4VT8Q6LPTIL006.html

 

https://www.huffingtonpost.jp/entry/marriage-equality-osaka-ruling_jp_62aadeb8e4b0cdccbe596640

 

 

 

「選択肢がある・ない」ということと「選択をする・しない」の違いって、かなり大きいと思ってて

 

わたしはおそらく異性愛者だけど、結婚をすることはきっとないと思っています

まだ若いから、とか、時期じゃないから、とかではなく、きっとこれから先も結婚という選択をすることはないだろうなと思っています(理由になってないな)(理由なんてなくていいです)

 

そして子どもを産むこともきっとありません、産みたくないからです、自分の子を育てたいと思わないからです

 

そうやって将来のことを考えられるのも、選択肢があるから、だと思う

結婚をするかしないか、子どもを産むか産まないか

 

当たり前でしょって思うかもしれないけど、わたしも思ってたけど、そんな選択肢でさえ当たり前じゃない人たちがこの世にはたくさんいるわけで、

 

わたしは別に自分がアライ(LGBTQ +当事者たちに共感し、寄り添いたいと考え、支援する人のこと)として活動していきたいとかたいそうなこと考えてるわけでは全くなくて、同じ生きている人間なのに格差があることが根本から理解できないだけです

 

わたしはアロマンティックとして恋愛を必要としていないからこそ、人と人が愛で結ばれ、一緒に幸せになりたいと願う感情の尊さを知っている、ほんとうにかけがえのないことだと思う、少し嫉妬してしまうほどです

そんな素晴らしいものを、同性だからダメとかいう理由で邪魔されたくないし、迫害されては絶対にいけない

 

てかまず性別を2種類だけに分けていることも気持ち悪いと思っているし、繁殖のために結婚という制度があると認めてる国も気持ち悪くて仕方がない

 

パートナーシップ制度ができたことは確実に進歩ではあるのかもしれないけど、結婚に比べて出来ることなんてまだまだ少なくて、だからそれで満足したり「認めてあげました」みたいな風潮は即座に消えてほしいと思う

 

きっとこれから同性同士の結婚が法的に認められて(認めるという言い方も嫌いだけど仕方なく使います)、誰もが誰とでも結婚という選択ができるようになっても、きっとしない人はしないと思う、でも"したい人ができるようになる"という事実はかなりデカい、それが選択肢が増えるということだと思う

 

好きな人との子どもが欲しい!と思う感情が、異性愛か同性愛かというだけで待遇に差があってはならない、そこになんの違いも他人が入りこむ隙もない

 

差別や偏見をゼロにすることはきっと無理だと思ってる、人が思うことや気持ちはすぐには変えられないし、意地になる必要もない、でもじゃあその分法律や憲法やその他わたしたちを守るためにあるものなら、せめて誰にだって平等であるべきだと心から思う

同性婚を認めないと言って、誰からなにを守ってるのか、説明してみせてほしい

 

そんなにわがままかしら、そんなに難しいことかしら

 

"該当しない人"がたった1人でもいなくなるまで選択肢が増え続ければいいなと思います

 

 

#結婚の自由をすべての人に