きえたあかりのなかで

 

 

2019年12月、U2の来日公演のチケットを無事2日間分ゲットし、父、母、わたしの3人でさいたまスーパーアリーナに行くことが決まっていた。

滋賀という都会でも田舎でもないような場所に住んでいるので、せっかく埼玉まで行くのにすぐに帰るのは嫌で、近い日程に北海道苫小牧でNOT WONKの主催イベント"Your Name"が行われることをチェックしていたわたしは両親に「ついでにもうちょい北行ってから帰ってきていい?」と尋ねてみた。すると2人は「ついでにみんなで美味しいもん食べにいっちゃうか、ついていくわ」とまさかの提案。「俺NOT WONKのも行くわ。」父まさかの提案2。

と、こんな感じで家族旅行の延長が決まったわけだけど、わたしはめちゃめちゃ燃えていた。

U2なんてお腹の中にいる頃から聴かされていたし、もはや子守唄だった。そんな英才教育の結果小学校の卒業文集に"しょうらいのゆめはアブリルラビーンになることです"とギターを抱えて書いてしまうほどの子どもになり、母もだけど主に父の聴く音楽だけが全てだったわたしは自分の力で新しい音楽に出会うことになった。そして出会ったNOT WONK、いちばんかっこいいと胸を張っていえるそんな彼らのライブに一緒に行ける。ダーツの旅ならぬルーツの旅だ。

札幌までの飛行機のチケットを取り、札幌と苫小牧のホテルも見つけた。

U2のライブは最高だった。父はステージを見た瞬間にもう号泣していた。面白くて写真を撮った。わたしは熱狂しながらも「子守唄のおじさんだ〜」と思っていた。

札幌へ向かい、たくさんご飯を食べた。全部がうまいし安いし寒い。ギラギラとひかるデカい看板が眩しかった。

苫小牧に着くと煙突が見えた。もくもくと煙が絶えず伸びていて、空が青くて、とにかく寒かった。

NOT WONKのボーカルの加藤さんはおすすめの居酒屋やお店をたくさん教えてくれた。焼きスパゲティを食べているとお店のおばちゃんが「今日は若い子がたくさん来るけど、なにかイベント?」と聞いてきた。いまから日本中でいちばんやばい伝説が始まろうとしています、なんて言えるはずはなく、でもこの場所に同じ想いの人が色んなとこから集まってるんだな〜と実感した。わたしはいま苫小牧にいる。

 

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名前を呼び、名前を呼ばれる。なにも特別なことではない。ただその空間が愛おしかった。

ライブの最後、渋谷クアトロでワンマンをしますと発表があった。この後物販でその時のチケット代を払うとYour Nameで使ったチケットにスタンプが押され、それが未来また使えるようになるという仕組みだった。場所が東京だということはその時のわたしにとってなんの問題でもなかった。その場で横にいた父に「行きます」と宣言し、チケット代を払い、スタンプを押してもらった。アップデートされたそのチケットを眺めながら外に出ると雪が降っていた。濡れないようにカバンにしまい、凍った雪で転びながらホテルの部屋に戻った。そこからの記憶があまりない。目が冴えて眠れなかった。まだ今日を終わらせたくなかった。

 

それが最後の家族旅行だった。

 

なんだか世界が暗くなり、なんだか外に出れなくなった。大袈裟に言っているわけではなく3日に一度はライブの予定が書き込まれていたスケジュール帳の文字がどんどんと消されていき、中止の文字を書き加えるようになった。なにもすることがなくなり、なにかをする理由もなくなった。

音楽を聴くことも、音楽と同じくらい好きな映画を観ることもできず、抜け殻になった。音楽は万能薬だと思っていたがその薬が喉を通らないんじゃ意味がない。

すぐに終わるだろうと希望を持つことでなんとかしのいでいたが、ある朝起きたらアベさんが犬を抱っこしてお茶飲んでた。もうなにもかもがなくなった。かすかに持っていた、持たなきゃいけなかった希望も全部。

気づけば1日が終わり、気づけば1週間が終わっている。久しぶりに死んでもいいかと思ったりした。なにより嫌だったのは、こんな思いをしてる人が自分だけじゃないことだった。自分だけであってほしかった。

あっという間に渋谷クアトロワンマンが予定されていた5月2日になった。わたしは東京にいないし、ライブもない。

あの時、チケットを手にしたあの時にタイムスリップしてこの状況を伝えたとして信じる人がいただろうか。絶対にまた使えるようにするから待っててと言ってくれたからまたチケットを引き出しにしまった。そのまたはいつ来るんだろう。

そんな中、とあるインスタライブが始まった。

画面にはNOT WONKの3人が、屋上で、空の下で集まって爆音を出してる姿。あの煙突が見えた。

音がいいわけでも映像が綺麗なわけでもない。でも確かにいまこの瞬間苫小牧で音が鳴っている。変わらずに。空って繋がってんな〜とめちゃイタいことを思って気づけば外に出ていた。音が聴こえるかもしれないと思った。たぶんあの雲はあの煙突からでた煙、イタ発言には変わりないけどほんとに心からそう思えた。

 

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それからもNOT WONKにやっぱり救われていた。ライブの配信が決まりすぐにチケットを買った。なんと郵送で送られてきた。配信ライブなのに。書かれているQRコードを読み込むとページに飛べる仕様だった。家に直接届くそれだけでも嬉しかったのに手書きのメッセージも書かれてあった。確かにわたしに向けての言葉。体調を気遣い、また会う日までお元気でと約束した。ひとつずつ指でなぞって噛み締めた。だから好きなんだ。

その配信ライブは、少し前に有観客で行った対バンライブを編集して後日配信という形だった。その時わたしは実際ライブに行くという選択肢を選べなかったからとてもありがたかった。

音も映像も綺麗、会場の熱気や興奮が画面越しに伝わってくる。ただ、ただなんか足りなかった。

音量を最大にしてみても、やっぱりダメだった。

理由はもちろんすぐにわかる。パジャマでソファに寝転び、このステージを片手に収めてしまっているからだ。すぐに再生を止めてしまうことも外で煙草を吸いながら見ることだってできてしまう。悔しい。

ライブに実際行くことがなくなると、記憶が薄れるどころか、もっともっと膨らんでくる。眩しくてうるさくてヒリヒリしてにおい立つほどに濃く。まさに五感がライブを求めていた。

そんな中での配信ライブは正直とてもつらかった。

全身で音と光を浴びたい。我慢はもうとっくに限界を超えていた。

 

NOT WONKの新しいアルバムが発売された。

発売前日にフラゲできたのだけど、Amazonタワレコから1枚ずつ届いたので混乱した。わたしはなぜか2枚買ってしまっていたらしい。

予約が開始されたその瞬間と、後日それを忘れて普通に予約した分。衝動と冷静。封を開けていない方はいつか大切な人ができた時にあげようと思う。プロポーズです。

最初にサブスクでイヤホンで聴くのだけは嫌だった。絶対に家のちょっと良いスピーカーで爆音で聴こうと決めていた。とにかく早く聴きたくて夜勤明けで疲れた体のまま再生ボタンを押した。ヤバい、これいまの体調で聴いたら倒されてしまう。1曲目の終わりでそう思いすぐ再生を止めてまずは寝た。1曲聴いただけで心臓の鼓動が速くなってしまった。

このアルバムのヤバさは発売からしばらく経った今でもうまく言葉に表すことができない。聴け。

 

https://music.apple.com/jp/album/dimen/1547425058

 

英語の歌詞は全部が理解できてるわけじゃないけど、全ての曲が口ずさめるようになった頃、やっぱり次の衝動に苦しめられる。この曲たちをライブで聴きたい。それまでは死ねない。

そんな時に大阪でのNOT WONKのライブが決まった。

もちろんすぐにチケットを取ったけど、やはり心配もあった。心から楽しめるだろうかと。ライブ前に楽しみ以外の感情が邪魔してくることが寂しかった。

結果当日はもちろん直行直帰、ライブハウスの対策もしっかりされていて不安は少し減った。

目の前で鳴っている音がなにも隔てることなくわたしに届く。汗もつばも飛んでこないし体のどこかが人に触れていることもない。でも楽しかった。この笑顔がマスク越しでも彼らにちゃんと届いているだろうか、そんなことを思った。

終演後少しだけNOT WONKの3人とお話することができた。髪型も変わってるしマスクもしてるしきっと誰かわからないだろうなと思って名前を言おうとした瞬間、目が合った彼らは「ららちゃん」と呼んでくれたのだ。少しびっくりして「はい!ららです!」と答えた。泣くのを堪えるのに必死で図々しくも持っていた彼らのグッズのトートバッグにサインをお願いした。「お父さん元気?今日は?」っていつも聞いてくれる。父も家を出る前に「3人によろしく言うといて」と言ってくる。なんだか可笑しくて尊くて笑ってしまった。ありがとう。

その頃はすでに去年予定されていたクアトロワンマンの延期が同じ日付の5月2日に決まっていた。「5/2のライブ、まだ行けるか分かんないんですけど、楽しみにしています」と伝えた。気持ち的には行く100パーだったけど「行きます!」とは言えなかった。何が起こるかわからないが当たり前になってしまっていたし。「そうだよね、無理しないでね〜」と答えてくれた。久しぶりの大きな音に耳がキーンと鳴っている。イヤホンはせずに家に帰った。

 

5月2日まであと少し。夜行バスはギリギリまで取れずにいた。だって何が起こるか分からないから。

3度目の緊急事態宣言が出るらしい。もちろん5月2日も期間に入っている。

無責任に見放される人たちやお店、ニュースを見ているとご飯もなんだか味がしなかった。たくさんの人が闘っている。自分自身のために。

 

NOT WONKのライブは開催されるのだろうか。色んなライブの中止のお知らせがたくさん目に飛び込んでくる中で正解がわからなかった。

もし予定通りの開催が決まったら、わたしは喜べるかな、中止になったら、悲しめるかな。

ずっとそれだけを考えている時間が続き、それと同時に彼らもいま何をすべきなのか自分以上に考えてくれていることも知っていた。わたしには国より彼らを信じることしかできなかった。

 

そしてついに、5月2日は予定通りライブが開催されることが発表された。

なんだか自分でも理解できないほど涙が溢れて止まらなかった。ライブがある。行けるんだ。

感じていたもやもやは全て無駄だった。考える必要もなかった。わたしはライブにぜっっっっっっったいに行きたかった。

中止になったら、いっそ楽かなとも思っていた。でも開催の文字を見たわたしは、よっぽど安心していた。いまのわたしに必要だったのは中止の文字なんかじゃなかった。

でも同時に、遠方から向かうことはバンドにとって迷惑になってしまうのではないかと新たな不安が生まれた。はたしてわたしは行っていい人なのだろうか。

そんな時に、彼らからメールが届いた。

 

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わたしは忘れていた。彼らがファンに対して、そして「ひとり」に対して想ってくれている愛を。

きっと莫大な数のやり取りをファン1人ひとりにしているはずなのに、コピペなんて使っていない。これがどれほど大変でもの凄いことか。そのもの凄いことを当たり前にしてしまっている彼ら。信じていて本当によかった。

 

実家で家族と一緒に暮らしているから、ライブに行くことはわたし1人のリスクや問題ではなかった。

家族に開催が決まったこと、行くということを伝えた。もちろんたくさん心配をしてくれたし、無責任に「大丈夫だから!」なんて言えないけど、でも分かっていてくれた。いまこの状況でライブが行われることと、お客さんを呼ぶことの責任を、家族も信じてくれていた。

父は「じゃあ3人によろしくな」と言っていた。

 

 

5月2日、きっとわたしは名前を呼ばれ、消えた街のあかりの分の照明を浴び、未来の音を聴くだろう。

終演後、暗い街を歩き、ご飯を食べることもできないまま夜行バスに乗り込む。空腹は彼らの想いで満たされ感じることはないはずだ。

 

NOT WONKのことを考えるといつもデカイことしか言えなくなる。それは彼らにもらった愛の大きさそのものなんだと思う。

 

開催を決めてくれてありがとう。はやく5月2日になりますように。

 

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https://kompass.cinra.net/article/202103-notwonk_kswmn

 

4/29 22:40追記

公演の延期が発表された。あと10分で夜行バスに乗り込むため家を出るところだった。

加藤さんも今日の朝、飛行機に乗る直前に有観客でのライブ開催ができないと連絡を受けたとのツイートを見た。おんなじじゃないけどおんなじ状況だ。連絡を受けた彼らの気持ちを考えるだけでつらくて悔しくてたまらなくなる。

誰も悪くない、悪口が言える相手がどこかにはっきりといてくれた方が楽だ。

次の日程が無事決まった日、二度の延期を耐えたこのチケットは、暗い場所にいた時間が長かった分光り輝くと思う。その日が今から楽しみだ。